「杜の響き」メッセージ 第27章





          春のメッセ-ジ桜に思う
                   

      渋川神社苑に育成する3本の桜も開花の季となり、平素管理する関係者も
     俄かに思慕の情を惹起させています。
      桜は、万葉集、記紀にも屡々登場し、幣神社が遷座した奈良朝廷発足当時
     には治世に当たる瑞祥の花として大切に扱われ、奈良時代の終わりには聖地
     とした吉野山は全山美しい桜で覆われていたと言われます。

      平安時代に入り紫宸殿の左近桜が植樹され右近橘と対をなして現代の雛人
     形にも採用され飾り愛でることとなっています。この様に桜は何時しか聖樹
     として内裏の必須木となり、以降江戸でも盛んに移植され現在多くの桜名所
     を形成しています。

      他方、歌舞伎の「忠臣蔵」を始め、戦時下の士気昂揚に遣った歌「同期の
     桜」坂本冬美の歌謡「夜桜お七」等での位置づけを照合すると、日本人の無
     常観と生命再生の予兆へ誘引させる題材にもされています。

      サラリーマン時代、名城・鶴舞・岡崎城の公園で桜花の下で同僚と交わし
     た酒宴を想起すると、桜への認識は時世及び境遇の影響は避けられませんが
     毎年催される新宿御苑の桜景観を対象とした園遊会の報道には情緒ある日本
     文化の厚みを感じます。

      桜は植生する地域で品種も異なり、また突然変異自然交配で派生する新種
     を含めると現存200種以上に区分されていると言われます。凡そ50年の
     寿命で枯死する桜木に代えて継続的に自生又は植樹された結果なのです。

      日本人の花および自然界への美的感性の歴史を覚えます。古人が遠景なが
     ら原野で共生した桜花に感動した時、優しい心の「仁」が顕在しています。
     優雅な桜は、王朝文化の要であると共に、貴族に限らず庶民の感動と敬愛の
     精神を育む要素でもありました。
      人々は、共有財産である原野に泰平豊饒の源として、慈愛を込め、崇敬の
     念を懐きつつ八百万の神へと展開したことでしょう。



                平成29年 3月 27日
                「杜の響き」 主幹 千雅翁







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