杜の響き 
「杜の響き」メッセージ 第13章




                 

                考察「参詣者との対話より」

   1.神社の存在
   (1)宇宙の一隅にある地球
       古来、人類は広大な陸地・海に棲息しながら、天を仰ぎ太陽・星・月を眺めて未知
      な世界を想像の果ては、死後の謎を懐きつつ日々の幸せを願っていたことでしょう。
      科学的知識の発達で続々謎が解明されますが、無限に拡がる自然界にあって極一部に
      過ぎません。
       人々の中で永年に亘る宇宙的な観点から、感謝、祈願の理念が派生、宗教的信仰が
      生成した様にも想われます。

   (2)日本の位置付け
       日本は東南アジアの片隅にあり、大陸からの渡来民族が離散融合して、社会を形成
      したとは言え、島国の為、文化・資源の伝来は遅々としたもので、数千年の歴史を有
      するメソポタミア・インダス・エジプト・黄河等の先進文明の影響は極めて限定的で
      結果的に日本独特の文化が発展したものと理解します。

   (3)日本の自然環境
       先人達は、春夏秋冬と呼称される比較的明確な四季の存在、南北に連なる地形、太
      平洋の暖気及び大陸の寒気による周期的な気圧配置等を背景に、自然が醸し出す風光
      明媚な環境に感嘆しつつ、一方で生活に適応した術を追及してきました。
       特に主要なことは、糧の確保することです。タンパク質は、魚介類から獲るとして
      も穀類は一定期間自然の恵みを活用できる条件が必要です。森林に覆われた国土の中
      水利や開拓により、農地を確保し農耕民族が定着しました。
       然し、自然環境の恩恵を授かる一方、豪雨、旱魃、気象変動など数々の天変地異に
      も遭遇します。艱難辛苦の果て、人智の及ばぬ幽玄の世界を想定する人たちが現れ信
      仰心が生まれました。多くの神社に見受ける御神徳の五穀豊穣、雨乞い神事の催行の
      例からも裏付けられます。

   (4)古代人の感謝と祈願
       古代日本人は、集落社会の人間味ある語らいの中で、先述の様に自然環境を崇めて
      謝意と祈願の風習が派生、合わせて互譲の精神が浸透したものと考えます。
      霊峰を始め、滝、岩石、洞、大木、川、池、湧水等、地球活動の下で生成した物体に
      人智の及ばぬ神が宿ると考え、万物を対象とした日本独特の八百万の神が全国各地に
      伝播し、信仰概念が固定化され現在に至っています。
       この様な環境の中で生を得た人々は、時の経過と共に種々の喜怒哀楽を体験します
      が、人生は相対感覚の結果論となります。神社では吉は吉として凶は吉に転ずる様に
      懐妊からの一生に各種の節目(初宮、七五三、厄除名など)を設定、謝意と弥栄を祈
      願し、こころ豊かな人生を歩まれることを念じています。

   2.他国の宗教との相違
       神道は、法的には宗教法人として位置付けられていますが、他国のユダヤ教、キリ
      スト教、イスラム教と異なり、教祖の存在は無く(例外的に個人名の神社は存在)
      また、思想の布教も致しません。 先にも述べた様に八百万の神で、自然を崇め、各
      神社毎に御祭神として神話に基づく神々を祀っています。

   3.澁川神社の由緒
       当社は、日本武尊の父として有名な第12代の景行天皇の御代(神話1900年前
      実際1600年?)に現在地の南凡そ500米、澁川町に高皇産霊神を御祭神とし
      て創祀されたことに由来しています。
       その後、天武(白鳳)五年(西暦676年)天武天皇即位に際して、大嘗祭用にこ
      の地域に新穂収穫する悠紀斎田が定められたのを機に現在地に遷座されました。
      この時期「壬申の乱」後の動乱が推定されますが、天武天皇即位に当たり美濃、伊勢
      の豪族が後ろ盾となった史実からも当地にも影響があって、帝に対し多少なり縁が存
      在したと思われます。
       遷座後の神社は、延喜年間に式内社に推薦され「山田郡(旧東春日井郡)の総鎮守」
      として、数多くの崇敬者が参詣、織田信長、徳川光友など著名人による改修も行われ
      ています。平成十四年に本殿を焼失しましたが、地元崇敬者の寄進により、平成二十
      年本殿、祭文殿、拝殿、社務所が立派に再建されました。         

   4.御祭神
       御祭神の高皇産霊神は、記紀に登場する最初の神で、造化三神(他に天之中主神、
      神皇産霊神)の内の一体で生産を意味した男女区別のない神です。その後七代の時代
      を経て、周知のイザナギ、イザナミの男女神が現れます。

   5.神社名
       神社名の渋川は、昔この地一帯に沼があり、その鉄分を含んだ湧水を通称「そぶみ
      ず」と言い、これを集水した、そぶ水川が「そぶ川」に転じたものと推定します。

   6.神社の使命
       悠久の昔より人々は、自然界の森羅万象に対し、叡智で知り得ない数々の事象に遭
      遇し、身の処し方に苦慮しています。神社は公益的使命を旨として、氏子の方々の
      精神の拠所或は安らぎの場所として護持継承して参ります。管理運営する立場から
      毎年標題を設定し、意識を鼓舞しています。参考までに披歴いたします。

   (1)平成23年「和」
      聖徳太子の17条憲法初頭の「和を以って貴しとなす。」からの引用です。

   (2)平成24年「絆」
      神社で奉仕活動する地域代表の氏子総代相互の面識を深めるための、絆醸成です。

   (3)平成25年「徳」
      論語里仁より「徳不孤必有鄰」から、氏子総代が奉仕活動で徳を重ねれば友人が現
      れることと、信じています。

   (4)平成26年「温故知新」
      論語為政より「故きを温ねて新しきを知る。」を念頭に神社に携わる者として、古
      人の精神を酌んで、護持継承に努めます。

   (5)平成27年「共生」
      土砂流失、火山噴火、地震、津波等、地球に棲息する限り、これら自然現象との遭
      遇は宿命です。如何に自然環境と共生するか先人達と同様恒常的に配慮することが
      肝要と思います。
 
   7.今後の課題
   (1)地域との連携
       民主主義で自由思想が堅持されている日本では、自由意思と感謝精神が培われる
      土壌が大切です。 神社では、祭りを主体に地域の方々(神社では氏子の呼称)の
      絆醸成の場として発展させたい。

   (2)拠所
       昔は、門前町として各種商店や露店商も多く、賑わいを呈した様ですが、飽食時
      代で、何時でも何処でも必要なものが手軽に得られる状況です。魅力ある拠所を模
      索する時代かも知れません。

   (3)公益的使命
       公益法人として、健全の社会と全ての人達のご多幸を祈念申し上げます。  


                           平成27年11月23日 掲載
                          「杜の響き」 主幹 千雅翁            





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