古文書「おかげ参り」から時代を読む 

                                                  澁川神社古文書「おかげ参り」より

      文政十三年寅春三月おかげ参り人別記憶(記帳)

                                                  「浅見九郎大夫所持」より

      文政十三年は天保元年と重なる年(文政は1818~1830)
      時の徳川将軍は家斉の時代で、賑やかな時代であったことが、偲ばれます。
      絵巻からは、澁川神社の役割、おかげ参り人別記憶(記帳)の存在、人々のおおらかさ等
      生き生きとした姿が、印象的です。

      天保元年は伊勢参り「おかげ参り」が、大流行した時代とも重なって、多くの人々が、澁
      川神社を起点にして、家族や地域の小さな集まりをつくり、伊勢に向かって旅立って行く
      様子がわかります。

      時期的には、田植を控えた僅かな日を利用して、銘々に出掛けています。
      おかげ参りをするには、澁川神社で旅立ちの届をして、住所氏名の確認を済ませて、短い
      日程でのお伊勢旅行となっていました。

      時の官から任命された、浅見九郎大夫氏なる人物が、「印場村揃待所」現在の澁川神社
      にて、「おかげ参り人別記憶」なる台帳に出立する人々の出国履歴を記していたと思われ
      ます。推測では、浅見九郎大夫氏は時の神社宮司と言えるかもしれません。
      古い絵巻からは、境内に接待所、茶店、駕籠屋、人混みに交り物乞いをする人など、可な
      りの賑わいを想像することが出来ます。

      この「おかげ参り」は、特に伊勢遷宮の後に「伊勢参り」と称して盛んに行われた。
      人々は前年の収穫と家族の息災祈願の御礼として、又、今年も善き年であることの祈願を
      秘めて、純粋な感謝の気持ちから「おかげさま:おかげ参り」としたのではないでしょうか。

      書き出しの始めには、此の節上方は摂州、泉州等で盛んに「おかげ参り」が行われており
      これが、こちら(印場村)と同じと知り、ここに記し伝えておきましょうとあります。
      是等も「伊勢参りの」人気ぶりが分かります。
 
      旅人の中には、村、家族などの許しを得ずして、ぬけがけ参りとして、ちゃっかり参加する
      人も実に多く見られます。これとて、おとがめ無しでの扱いをされ、皆々楽しい旅にしてい
      たようです。
      家族や代理参拝、女性ばかりの組みであったり、後家などと記されていることも、珍しくな
      かったようです。全てが「お伊勢さん」で許されたのでしょう。
 
      挿絵からは、蓑笠に地名などが、記号のうように記されて、東美濃(岩村)、三州三河、
      小原村、長久手村、尾州セト、太一など、広範囲に渡っていたことが、確認できます。

      当時の旅は、個人には一生に一度あるや無しやの旅であり、日頃からこの日の為に質素
      倹約を常として、蓄財をしていたと思われます。中には路銀に苦慮して、神社やお寺で
      仮の宿として、旅を続けた人達が居たことが想像出来ます。
 
      それにしても、人別帳の日程からは、可なり厳しい旅でありましたが、それでもやり遂げた
      人々の生きざまには、関心するばかりです。
      そこには、人として素朴な「おかげ」の意味が、心の奥深くに秘められていたと思います。

      人々の旅が、ひと通り終わると、九郎太夫(接待所責任者)であったと思われる浅見氏が
      家族同伴で、日にちを掛け幾つもの宿に足を留めながらの優雅な「伊勢参り」の旅を続
      けた様子が、最後にみられます。
      やはり今も昔も役人の特権を見るに、思わず笑みが、こみ上げて来ました。

      「気になる個所について」
      古文書の最後に、さり気なく書かれた箇所がありました。
      大いに気になる個所故に、ご紹介してみましょう。
      読む人には気に留めない記載事項ですが、全体を何度も読み返す内に、一番大切な事
      に気付きました。
      それは、長久手村から、お金、白米、お茶、わり木等が運び込まれていますが、最初は
      奉納献上品と判断しておりましたが、そうではなく、おかげ参りならぬ抜け参りをする人達
      への「おもてなし品」と結論付けました。

      「その根拠」
      おかげ参りが堂々とおこなわれていない代わりに、抜け参りが実に多くを占めています。
      この人達を思いやって、旅での小使いの他、炊き出しをして、にぎりめし、お茶等を与える
      必要があったから、必需品として長久手村から運び入れていたと、考えたい所です。
      他の品々は量的にも理解できますが、お酒二本とは余りにも少ない事も裏付けられます。
      それは、夜道に旅立つ人々には体を冷やさないよう、含み酒をさせる少量のお酒であった
      と考えた次第です。根底には、浅見九郎大夫の人柄が窺えて、あたたかな気持で読み終
      えられたことに感謝しております。もし、事実と異なっていても、そうあって欲しいと、自らに
      言い聞かせる事が出来ました。

      筆者(大夫)は、印場村澁川神社の宮司と思われる人物、地元で宮司職を務めていた
      浅見一族の九郎大夫です。官から授かった名、役職を勤勉に務められていた人物です。
      人情味のある穏やかな人物像が窺われます。
      
      歴史ある神社、古くから人々に愛され守られてきた神社、それが澁川神社であると、つく
      づく思い知らされました。是からも、人々によって末長く大切に守られ続けられる澁川神社
      を心から願っています。

      古い一巻の巻物ですが、痛みもひどく、筆者の癖のある文字、自在に書体などが変えら
      れ綴られた癖文字等は、時代背景・土地の民族文化を熟知した学者、研究者は別とし
      て、詳しく判読するのに苦慮致しますが、今回協力者により絵解きと重ねつつなんとか、
      理解出来るに至りましたので、取り敢えず今回のご紹介と致しました。
      これは一つの解釈ですが、また、別の読み解きがあれば、新しい発見となり、嬉しい限り
      です。
      現物は神社に大切に保管されていますので、興味のある方は、一度御出掛ください。

                                                    むすび

   

       時代背景

         ・文政十三年は天保元年と重なる年(1818~1830)

         ・天皇 120代仁孝天皇、 将軍 11代将軍家斉 

         ・大きな出来事
           文政11年 シーボルト事件
           文政12年 江戸大火
           文政13/天保元年 伊勢御蔭参り大流行
  

   


 
   □ 古文書で見る主な言葉の紹介


    1.おかげまいり(御蔭参り)
      
御蔭年に伊勢神宮に参詣すること、多くは春の行事。


    2.御蔭年(神の御蔭をこうむる意味から、御蔭と云う)
      
伊勢神宮の遷宮のあった翌年に、参詣者が特に多かった。


    3.ぬけまいり(抜け参り)
       父母または、主人(雇い主、家長)の許可を受けずに家を抜けて伊勢神宮を参拝すること。     
      江戸時代にしばしば流行し、帰ってからも罰せられない習わしであった。



    4.大夫(たいふ・たいぶ)= 浅見九郎大夫
      律令制下、中宮職、春宮職(とうぐう)、その他の各職の長官名を云い、神社に関しては
       「大夫=たいふ・たいぶ」と呼んだ。




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