澁川神社

しぶかわじんじゃ    御祭神 高皇産霊神   澁川神社四大祭


                 

戦国時代の武将 織田信長や、尾張藩主徳川光友等によって、改修・改築されたと云う社殿は
今では本殿・祭文殿・拝殿と一直線に並ぶ尾張造りの美しい姿を澁川の杜に映します。
 


1.澁川神社祭禮と行事その意義  

2.澁川神社四大祭 

3.主なる宮中祭祀について 
 


2. 澁川神社 四大祭




 
    澁川神社 四大祭 : 例大祭、 新嘗祭、 元旦祭、 祈年祭


   
1.元旦祭(がんたんさい)澁川神社斎行日:1月

      歳旦祭(さいたんさい)は、戦前の祝祭日の中の皇室祭祀令に基づ小祭日の一つ。
      現在では新暦1月1日元日に宮中三殿 賢所・皇霊殿・神殿)で行われる年始を祝う祭祀です。
      元日の神嘉殿南庭において、天皇が親行する四方拝に続いて、同日早朝午前5時30分から、宮中三殿において掌典長が主宰し
      祝詞をあげ、午前5時40分頃に 四方拝を済ませた黄櫨染御袍姿の天皇が拝礼し、黄丹袍姿の皇太子が続いて拝礼する。
      神宮をはじめ、全国の神社に於いては、皇統の繁栄と五穀豊穣と国民の加護を祈念する中祭として行われています。




   
2.祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)澁川神社斎行月日:3月

      祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)は、毎年2月に行われ、一年の五穀豊穣等を祈る祭祀です。
      一般に11月の新嘗祭と対になる祭祀とされているが、皇室祭祀令に於いては祈年祭は小祭、新嘗祭は大祭と規定されていた。
      実施時期:明治の改暦前は旧暦2月4日に行われていたが、改暦後は2月17日に行われるようになったが、特に統一されて
      いるわけではなく、北国にでは3月・4月の春祭りと併せて行う神社もあります。

      歴史編集で見られるように、元々は律令国家の恒例祭祀の一つであり、7世紀後半の天武天皇の時代には、既に行われていた
      記録があります。日本古来の春の農耕儀礼に中国の大祀祈殻の要素を取り入れて、律令国家祭祀として成立したものと考えら
      れている。当初は延喜式神名帳記載の全ての神社(3132座)が祈願の対象でありました。平安時代に入ると祭儀が形骸化
      し、神祇官のでのみ行われる祭祀となりました。

      平安時代中頃になると、天照大御神を主に祀る祭祀であると認識が変化しはじめて、院政期にはその傾向がさらに強くなり、
      祈年祭は天照大御神を奉祀する天皇の祭祀として厳修されるようになりました。 
      13世紀初め鎌倉時代初頭の順徳天皇『禁秘抄』では、祈年祭は伊勢神宮関係の祭祀であると明記されています。 室町時代
      後半の戦乱期には、他の祭祀と同様に宮中での祈年祭も廃絶し、神祇官の伯を世襲してきた白川家が行うようになりました。
      江戸時代に入り、元禄年間に宮中での祈年祭の復興が企画されたが為らず、明治時代の神祇官復興に至って、ようやく再開さ
      れたのです。

      祈年祭は、再び重要な国家祭祀と位置づけられ、明治2年1869年からは、宮中および全国の官国幣社で「大祭」として
      祈年祭が行われるようになりました。官国幣社以外の民社でも行われました。 第二次世界大戦後に日本の国家神道が解体さ
      れると、祈年祭から国家的祭祀としての性格は消え、宮中では、天皇家の私的な祭祀として、他の神社でも通常の祭祀の一つ
      として斎行しているものです。



   
3.秋祭り「本祭り」澁川神社斎行日:10月

      神社で毎年行われる祭祀のうち、最も重要とされています。
      例祭は年一回、多くは祭神や神社に特別の由緒のある日に行われます。例えば、人物神を祀る神社ではその人物の誕生日や
      命日としていることが多い。特に由緒のある日のない場合は、春祭りや秋祭りをもって例祭としています。例祭が行われる
      日は毎年一定で、みだりに変えることはできないものとされています。以降も、神社本庁被包括の神社については例祭日を
      変更する場合は神社本庁の承認を受ける必要があります。
      ※ 澁川神社では、秋の市民祭に併せて、本祭りを秋祭りとして行われるようになりました。数日後、改めて本祭りが行われ
        ますが、これは月次祭と同し様式にて執り行われています。


    
<歴史的背景:例祭>

       
「例祭」という名称が使われ出したのは近世の事で、それ以前には「大祭(おおまつり)」「御祭(おんまつり)」等と
      呼んだり、社名に祭をつけて「春日祭」「石清水祭」等と 呼んだりしていた。近世には、各地の名所図会などに「○○神
      社例祭○月○日」と記載されているのが見られます。その神社を代表する重要な祭を「例祭」と呼ぶことが定着していた事
      がわかります。
 
      明治の神社制度においては、例祭は祈年祭、新嘗祭などと共に「大祭(たいさい)」に定められ官国幣社・府県社・郷社及
      び一部の村社(神饌幣帛料供進指定神社)には勅使あるいは、幣帛供進使が参向して国・皇室から神饌幣帛料が供進された。
      第二次世界大戦以降は、国からの幣帛供進制度は廃止されたが、勅祭社については例祭に際し勅使が参向する。それ以外の
      神社では公的な幣帛供進制度に代わって神社本庁から「本庁幣」として献幣が行われている(但し神社本庁被包括の神社に
      限る)。


    
<名称について>
 
      例祭は祭祀の分類の中で「大祭(たいさい)」に分類されることから、例祭の事を例大祭(れいたいさい)と呼ぶことが
      ある。但し、これは俗称であり、正式なものではない(例祭の名称として「○○神社例大祭」としている場合もあります)。  
      正式には、大祭式例祭(たいさいしきれいさい)とする。本来の「例祭」以外の祭祀についても祭の名称に「例祭」を含
      んでいる場合(例えば「春季例祭」)があるが、一つの神社について、例祭は一つだけです。




   
4.新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)澁川神社斎行日:11月

      新嘗祭は宮中祭祀のひとつ(大祭)。収穫祭にあたるもので、11月23日に天皇が五穀の新穀天神地祇(てんじんちぎ)
      に進め また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。
      宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われます。日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習がありました。その年の収
      穫物は国家としても、それからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に
      始められたと伝えられています。

      一時中断されたが、元禄時代の東山天皇の在位中に復活しました。1873年の太陽暦採用以前は、旧暦の11月の2回
      目の卯の日に行われていた1873年から、1947年までは、同名の祝祭日(休日)となっており、1948年以降も
      勤労感謝の日 国民の祝日になっているのです。

      新嘗祭自体は、伊勢神宮及びそれに連なる神社の祭儀となり、伊勢神宮には天皇の勅使が遣わされて、大御饌(おおみけ
      :神が召し上がる食事)を供える形式となった。現代では稀であるが、新嘗祭まで、新米を口にしない風習も残っている。


  


   ? 以下は、四大祭以外の祭禮ですが、神社にとって重要な祭禮であったり、民衆の生活に
     密接な関わりをもって、大切な神事へと変わって執り行われている祭禮の紹介です。



    月次祭(つきなみのまつり) 澁川神社斎行日:毎月第一日曜日

      澁川神社では毎月第一日曜日に行われ、神道における祭礼のひとつの行事です。 即ち、国家の安泰と人々の弥栄を祈る
      祭儀として、行われるもの。



   
 【 歴史的背景 】

    
伊勢神宮では6月・12月の月次祭と神嘗祭の3つの祭礼を三節祭(さんせつさい)三時祭(さんじさい)と称して行われ
     ています。古くは毎月行われたようであるが、『延喜式』において、6月と12月の11日に行う事が規定された。朝廷と
     伊勢神宮で行われ、11日の朝には畿内に祀られている、304座の神に対し朝廷神祇官から幣帛が分け与えられた(班幣)。
     その後、班幣は伊勢神宮のみとなり、室町時代に入ると応仁の乱などにより、班幣は廃されるようになったが、明治以降に
     なって復活し、現在では全国の多くの神社でも毎月一定の日を決めて、月次祭が行われております。




   
夏越大祓(な(なごしのおおはらえ)・ 年越の祓(としこしのおおはらえ
       澁川神社斎行日:6月30日/12月31日  


      今年上半期の神事:夏の大祓いが、6月30日夕方より氏子総代などが集まって行われました。
      神社境内の忌明社にて、宮司の御払いを受け、自らの穢れを清めます。御祓いの後は、人形代に自らの名前と祓い清めたき
      穢れを書き込み川に納めます。


    
【 広義の夏の神事:大祓(おおはらえ)】

     大祓(おおはらえ)は、6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われる除災行事です。
     犯した罪や穢れを除き去るための祓えの行事で、6月の大祓を夏越の祓(なごしのはらえ)12月の大祓を年越の祓(とし
     こしのはらえ)という。6月の大祓は夏越神事、六月祓とも呼んでいる。尚、「夏越」は「名越」とも標記する。
     神社によっては「輪くぐり祭」と称して行われている所もあります。

     701年の大宝律令によって、正式な宮中の年中行事に定められた行事でもあります。
     この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか、首都京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民
     の罪や穢れを祓った。衣服を毎日洗濯する習慣や水等のない時代半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える
     事で疫病を予防する意味があった。
 
     その後、百年ほどは盛大に行われた。そして、応仁の乱の頃から、行われなくなったが、江戸時代(1691年)に再開され、
     次第に広まった。1871年明治4年)の太政官布告にて明治新政府により、「夏越神事」「六月祓」の称の禁止と大宝律
     令」の「大祓の旧儀の再興が命じられ、全国の神社で行われるようになった。戦後には「夏越神事」「六月祓」の称も一部
     では復活し、現在に至っています。
 
 

 


  ◆
 拾遺和歌集に「題しらず」「よみ人知らず」の歌として載せてあり
    多くの人に知られております。

    
「水無月の なごしの祓 する人は ちとせの命 のぶというふなり」






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