第17回 渋川小学校校歌2と盈涸の甕について

                 
      渋川小学校校歌の二番は「あふれる地下の 真清水に 朝夕洗う 身と心
     学んではねて 明日開く 力は延びる おおわれら」です。
      学校が現在の渋川福祉会館の場所にあった昭和30年代前半頃までは校舎
     の半分はまだ木造の校舎でした。その頃までは校舎北側に一年中こんこんと
     地下水が湧いていました。夏は冷たく冬は暖かく感じられ気持ちがよかった
     覚えがあります。旧JA印場支店のあった場所にも湧水がありました。現在
     の西部保育園があるあたり一帯は田んぼが広がり清んだきれいな水がわく沼
     があり越水という地名でした。印場元町4丁目の舟橋近くにあった我が家の
     庭にも掘り抜きがあり、覚えてはいませんが自分が保育園入園前頃までは水
     が湧いていたそうです。井戸もあり手動式のポンプで水を汲んで風呂に入れ
     ていた覚えがあります。当渋川神社にも古くは湧水があり、神社の南側を通
     る旧瀬戸街道を行きかう人々の、のどを潤していったという記録が残ってい
     ます。このようなどこでも水が湧き出るような地域にある神社だからでしょ
     うか、平成14年に焼した旧社殿の北側に潮干塚という塚があり、今も塚の
     跡があります。
      江戸時代の「尾張名所図会」には[・・・本社の後ろの方に古塚あり。
     もと其上に古甕 ありて、海潮の差し引きに随ひ、水の盈涸する事ありしぞ。
     今は絶えたり。・・・]とあり ます。潮の干満に応じて甕の中の水位が変化
     するという不思議な甕の話です。甕はいつしか失われてしまいました。
      昭和58年に尾張旭市教育委員会の依頼により、塚のあたりの発掘調査が
     おこなわれ常滑焼の甕の破片が採集されていますが、決め手になるような成
     果は ありませんでした。
      渋川神社には、15世紀頃のものと推定される常滑焼の甕が2個あります。
     2個とも平成14年の火災の時に割れてしまいとても残念です。
                                    むすび

                  令和元年 7月 7日
                  澁川神社 権禰宜 記 



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