澁川神社所蔵「瀬戸街道おかげ参り通行絵図」(仮称)について

   
 
  
 延喜式内社「澁川神社」には、永く伝えられてきた一枚の浮世絵が所蔵されている。幅36
   センチ、長さが155センチもある横長のこの絵には、洒脱なタッチで描かれた街道を通行す
   る多くの人物(武家から駕籠かきや乞食まで)が描かれ、道を歩く馬や犬までも描き加えられ
   て見飽きることがない。

    描かれている場所は、神社前の街道の風景であることは一目了だが、その境内に「太一印場
   村接待所」と書かれた幟が見られるところから、その神社は澁川神社であり、神社前の道は旧
   の瀬戸街道であることが分かる。そして、絵の中の何ケ所にも書かれている「太一」(本来は
   北極星のこと。わが国では伊勢神宮のことを指す)や「太一施行」(伊勢神宮参拝の巡礼者へ
   の「お接待」のこと)の札、旅人の笠に描かれた「太神宮」(伊勢皇大神宮)の文字から、伊勢
   神宮へ参拝に向かう巡礼たちを描いた絵であることが分かる。

    また、六人ほどの人物の手に「柄杓」が握られていることに注目すると、文政十三年=天保
   元年(1830)の「おかげ参り」に出かける巡礼たちの姿を描いたことが分かる。この「柄杓」を
   巡礼者たちが持つようになったのは、文政の「おかげ参り」が最初とされているからである。
   この文政十二年から十三年にかけて行われた伊勢神宮参拝は、江戸時代に約六十年毎に一回発
   生した「おかげ参り」と呼ばれる大規模な参拝で、この時には約五百万人もの参拝があったと
   言われている。

    さらに、画面の右寄りの「太一」の笠をかぶった二人の女性の内、子供と思われる人物が
   「団扇」(それには「尾州せとせつたい」(尾州瀬戸接待)と書かれている)を手にしているとこ
   ろに注目すれば、文政十三年の夏に澁川神社前の旧瀬戸街道を通って、これからの巡礼者たち
   への接待(施行)として、瀬戸村では夏の季節に重宝する「団扇」が手渡されたことを表してお
   り、それは同時にこの絵が描かれたのが夏の季節であることを示しているからである。この推
   測は「通行図」とともに神社が所蔵する「文政十三年寅年春三月 おかげ参り人別記帳」(印場
   村から文政十三年の春におかげ参りに出かけた村人の記録)とも符合する。 すなわちこの「通
   行図」が描かれたのは、現在から約190年前の文政十三年の夏であることが決定できる。
   (なお、当地印場村では湯茶の接待が澁川神社の境内で行われた様子がこの絵に描かれている。
   両脇に立てられた篠竹は、神聖な接待所を示すシンボルである。)
   
    一方、この「通行図」の特徴は、多くの巡礼者が被っている笠の「笠書」に、「地名」が書
   かれていることであろう。それらの地名は彼らが出発した場所を示していると考えられ、「 
   =三河」や「  =美濃」とだけ書かれた笠もある。しかし具体的な例では、「三州 小原」
   「東美濃 岩(村)」、遠くでは「信州 伊那郷」「江戸」「下総いんば郷」などと読むことがで
   き、文政十三年の「おかげ参り」の際には、澁川神社前を驚くべき遠距離の地からの人々が、
   中山道や下街道、信州飯田街道(中馬街道)などを利用して、伊勢神宮へ向かったのかを表して
   いる。作者は、澁川神社前をそうした様々な地域から伊勢へ向かう巡礼者たちが通過した事実
   をこの一場面でまとめて表現しているいるわけで、決して写実的な画面ではなく、そうした事
   実を記録する意図をもってこの絵が描かれたのではないかと推測される。つまり、この絵は
   「記録性」の高い絵画であると評することができる。

    ところで、横幅が約155センチもある細長いこの「通行図」を眺めると、三つの画面から
   構成されているように思われる。右側は、器量の良い母親とその娘を「施行駕籠(接待駕籠)」
   に乗せようと声を掛ける駕籠かきを中心とした画面。中央は、岐阜県の岩村から伊勢神宮へ向
   かう武家一家の奥方に銭をせがむ乞食と、それを制止する馬方の画面。左側は、千葉県いんば
   郷からはるばるやって来た人物や卑猥な松茸の絵の笠(「おかげ参り」の際は、松茸を描いた
   幟や旗を持つ巡礼者が、よく見受けられたようである)を見て驚く自分といった具合に、区分
   して観賞することができるのではないだろうか。それらの三面は、いずれも戯画とも評される
   描き方で、歌川広重(安藤広重)や高力種信(猿猴庵)などが描く「おかげ参り」の写実的で美
   術的価値の高い浮世絵とは、かなり異質なものとして理解されよう。
 
    つまり、この「通行図」は伊勢参拝に向かう人々で賑わう神社前の様子を、スナップ写真で
   写すようにあまりのままを描こうとしたものではなく、神社前で実際に繰り広げられたと推測
   されるいくつかの出来事を簡略な三つの場面として表現している。それが作者歌川貞清の着眼
   なのか、彼にそうした主旨の絵を依頼した当時の澁川神社の関係者(あるいは印場村の有力者
   の)
考えなのか不明であるが、この卓越したアイデアは、当時の「おかげ参り」を描いた多く
   の写実的で美術的な価値の高い浮世絵と比べても貴重なもので、その点は十分評価に値するも
   のと思われる。

    また、画面の左隅に描かれている絵師の「歌川貞清」という人物に関して詳しくは分からな
   いが、文政・天保時代に江戸で実在した浮世絵師(歌川貞国)の弟子であることが、いくつかの
   「浮世絵師人名辞典」に書かれている。
    なお、この「通行図」に描かれている「富士山に日の出」の飾りが付けられた「施行駕籠
   (接待駕籠)」や、街道を胸を張って伊勢神宮へと向かう「おかげ犬」など、この絵には当時の
   一大国民的行事であった「おかげ参り」の様子を示す事無がいくつも描かれている点も注目さ
   れる。この貴重な「瀬戸街道おかげ参り通行絵図」が、これ以上の色落ちや紙質の劣化を防止
   して保存措置が講じられることを願っている。


                    林  宏  (尾張旭市文化財保護審議会委員)