3.式内社(延喜式内)について
延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十
のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧です。
延喜式神名帳に記載された神社、および現代におけるその論社(注)を「延喜式の内に記載された神社」の意味
で延喜式内社、または単に式内社(しきないしゃ)、式社(しきしゃ)といい、一種の社格となっています。
本来「神名帳」とは、古代律令制における 神祇官が作成した官社の一覧表を指し、官社帳ともいいます。
国・郡別に神社が羅列され、官幣・国幣の別、大社・小社の別と座数、幣帛を受ける祭祀の別を明記するのみで
各式内社の祭神名や由緒などの記載はありません。
延喜式神名帳とは、延喜式の成立当時の神名帳を掲載したものです。
延喜式神名帳に記載された神社(式内社)は全国で2861社で、そこに鎮座する神の数は3132座になります。
式内社は、延喜式が成立した10世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた神社で、その選定の背景には政治
色が強くみえる。当時すでに存在したが延喜式神名帳に記載がない神社を式外社(しきげしゃ)という。
式外社には、朝廷の勢力範囲外の神社や、独自の勢力を持った神社(熊野那智大社など)、また、神仏習合により
仏を祀る寺となった神社、僧侶が管理した神社(石清水八幡宮など)、正式な社殿がなかった神社などが含まれて
います。式外社だが 六国史に記載がある神社を特に国史現在社(国史見在社とも)と呼んでいます。
(広義には式内社も含む)
※ 論社について
式内社の後裔が現在のどの神社なのかを比定する研究は古くから行われています。現代において、延喜式に記載
された神社と同一もしくは、その後裔と推定される神社のことを論社(ろんしゃ)・比定社(ひていしゃ)等と
呼ばれています。 式内社の後裔として、ほぼ確実視されている神社でも、確実な証拠はほとんど無く、伝承に
より後裔の可能性が、きわめて高い論社という扱いである。延喜式編纂時以降、社名や祭神・鎮座地などが変更
されたり、他の神社に合祀されたり、また、荒廃した後に復興されたりした場合、式内社の後裔と目される神社
が複数になる事もある。論社には、他の研究によって、後裔社だとみなされることもあるが、その神社自ら式内
社だと主張することも多いのです。
4.式内社の社格編集について
式内社は各種の種別がある。まず官幣社と国幣社の別である。
官社とは、毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことで、各神社の祝部(はふりべ)が神祇官に集ま
り幣帛を受け取っていた。その後、延暦17年(798年)に、引き続き神祇官から幣帛を受ける官幣社と、国司から
幣帛を受ける国幣社とに分けられた。
式内社では、官幣社が573社737座、国幣社が2288社2395座あります。
国幣社が設けられたのは、遠方の神社では祝部の上京が困難なためと考えられるが、遠方でも重要な神社は官幣社
となっています。
次が大社と小社の別である。この別はその神社の重要度や社勢によったと考えられる。
官幣社・国幣社および大社・小社は全ての式内社について定められたので、式内社は以下の4つに分類されること
となります。
- 官幣大社 -- 198社304座
- 国幣大社 -- 155社188座
- 官幣小社 -- 375社433座
- 国幣小社 -- 2133社2207座
官幣大社は畿内に集中しているが、官幣小社は全て畿内に、国幣大社・国幣小社は全て畿外にある。
なお、近代社格制度にも同じ名称の社格があるが、式内社の社格とは意味が異なる。
また、近代社格制度の社格は延喜式における社格とは無関係で、制定時の重要度や社勢に応じて定められた。
式内社の中には、祈年祭以外の祭にも幣帛を受ける神社があり、社格とともに記された。
・名神 -- 特に霊験著しい「名神」を祀る、臨時祭の名神祭が行われる神社。全てが大社なので名神大社
(名神大)という。
・月次 -- 月次祭(6月と12月の年2回行われる祭)に幣帛を受ける神社
・相嘗 -- 相嘗祭(新嘗祭に先立ち新穀を供える祭)が行われる神社
・新嘗 -- 新嘗祭(毎年11月に行われる一年の収穫を祝う祭)に幣帛を受ける神社
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